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第29回

静香と寝たという男にも、自分から既に心が離れてしまっている静香にも向けられない自分の感情。

なぜ向けられないのか?

それはこの時、自分のよりも静香の感情を優先したかったからなのかもしれない。

TOKIは静香が大事だった。

静香が選んだ自分の幸せへの道に自分は要らないのだ。

TOKIは詰め寄った男に背を向けて宛ても無く歩き出した。

一歩一歩歩く毎に、静香との楽しい日々が思い出される。

人の気配が無くなれば無くなるほどに悲しさが込み上げてくる。

自販機で、体質的に受け入れなくて飲めなかった酒を買って浴びるように体内に流し込んだ。

壁を殴った。

電柱を蹴った。

タバコに火を点け、手に押し付けた。

TOKIの左手の甲には今でもその時の火傷の痕が残っている。

路上に座り込んでTOKIは考えた。

「何故、こんなに悲しいのか?」

という問いが心に明滅する。

(大事な人を失ったから?)
(短期間であれど二股を掛けられた事の怒りか?)
(静香の過去を気にしていた事への後悔からか?)

どれもピンとは来なかった。

TOKIは考えた。

ただ考えた。

そして、自分の心に素直に、感じるままに心の奥底に見え隠れする本当の答えを引き擦り出した。

それはきっと

「必要とされない悲しさ」

だった。

あくまで自分の感情を第一に考えている自分に吐き気がした。

結局、自分が一番可愛い、自分が大事。

自分の感情が最優先。

TOKIの美意識に著しく反している価値観。

「弱った時、困った時こそ、その人間の本性が表れる」

と誰かが言っていた。

今の自分がまさにソレだ。

(結局、俺は口だけだ)

胃袋を焼くアルコール、左手から流れる血。

そして猛烈な自己嫌悪に苛まれながらTOKIはヨロヨロと立ち上がって、自宅までの数キロに渡る道のりを、ひたすらに歩いた。

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