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第72回

「とにかく、バンバン、ライヴをやろう!」

自分達を出演させてくれるライヴハウスには、とことん出演し、日曜の原宿でステージ衣装を着てライヴビデオを無料で配ったり、繁華街のアチコチにライヴ告知のビラを貼りまくり、音楽雑誌にもKill=slaydの情報をなるべく多く掲載してもらった。

その甲斐あってか、92年の暮れには1st DEMO TAPE[-Artistic suicide-] を発売するも1000本がアッという間に完売。

93年には業界では名前くらいは誰でも聞いた事がある、くらいのバンドに成長していた。

バンドのミュージシャン友達も増え、(自分の居場所の選択は間違いなかった)と自負できるようになっていた。

そんなバンドミュージシャンの中で、TOKIは1つのバンドと運命的な出会いをする。

「Kill=slaydの方ですよね?俺達GLAYってバンドです。よろしくお願いします」
「あぁ!こちらこそよろしくお願いします!俺、TOKIって言います」
「あ、自分はTAKUROっす」

GLAYは88年結成で、北海道は函館で活動していたが、90年には上京し、既に東京で活動していた。

この頃Kill=slaydが活動拠点にしていた神楽坂エクスプロージョンでは既にワンマンも経験しており、実質的には先輩バンドだった。

「今度、TOKIさんの家に遊びに行って良いですか?」というTAKUROに「あぁ!いつでも大丈夫だよ!」と答えた。

(どこにでもある挨拶代わりの言葉だろう)

TOKIはそう思っていたが、翌日の夜、実家のリビングでくつろいでいると、一本の電話が鳴った。

「はい?」
「あ!TOKIさんですか!TAKUROッス!昨日はどうも。今、何してます?」
「いや、家にいるけど?」
「でしょうね。電気点いてますモンね」

一瞬、彼の言ってる意味が分からなかった。

しかし、意味を即座に理解し、窓を開けると「どもども〜」と笑顔でTAKUROが立っていた。

「おいおいマジかよ!いなかったら、どうするつもりだったんだよ!ハハハハ!ま、まぁまぁ、入ってくれよ」

笑いが止まらなかった、と同時に、こんなに行動力がある人間は初めて見た。
携帯電話が全然普及していなかった時代。

彼とは手書きのメモでお互いの住所を取り交わしていたとはいえ、まさかメモを渡した翌日に連絡も無しで突然家に訪れるとは…

その日は夜が明けるまで語り明かした。

以降、週に3,4日のペースでTAKUROはTOKIの自宅に現れ、毎夜毎夜、音楽について、人生について語り明かした。

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