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第95回

起業して3ヶ月。

仕事は全く軌道に乗らなかった。

心配する母に「大丈夫だよ。必ず俺が何とかするから」と励ましながら、毎日深夜まで一人でアイデアを出し、準備し、実行。

それを繰り返す日々が続いた。

この頃、既に後の"STEALTH"で発表されるTAKUROからの楽曲選考を終えていて、デビューシングルとなる「灼熱」の他、数曲の提供を受けていた。

すると「TOKIがGLAYのTAKUROの楽曲提供を受けて活動するらしい」という情報を聞きつけた、かつてKill=slaydが所属していたレコード会社のディレクターから「ウチから出せないか?」という旨の連絡を受ける。

企業の経営を投げ出せない状況だったTOKIは、Kill=slayd所属時に経験した問題を全て払拭してくれるなら、という約束を前提に契約を了承。

GLAYの所属レコード会社の社長と引き合わせ、直接面談をさせて両社とも快諾。

順調に事が運ぶ流れになった。


そんな中、月を経ていく毎にTOKIの会社は徐々に軌道に乗り、従業員を1人、また1人と雇用するくらいにまでなった。

2000年7月には全くの異業種の部門を立ち上げ事業の拡大を計る。

するとこれが当たり、従業員が更に増え、TOKIは起業から僅か1年足らずで全ての事業を見事に軌道に乗せてみせた。

が、しかし遅々として一向に音楽の方が進まない。

「信頼してくれ!」と胸を叩いたディレクターも部署内の摩擦で配置換えとなり、業を煮やして連絡を取るも(来週には何とかするから!)とノラリクラリ引き伸ばされる。

(こんな状態をいつまでも続けさせる訳にはいかない)と、スタッフの中でも取り分け交流があったディレクターの一人に
「ここだけの話だけど…ウチの会社はヤメた方がいい。このままじゃ一向に進まないよ。a社で信頼が置ける人間を紹介するから」
とa社のお偉方を紹介されて預かりとなるも、事実上数ヶ月放置とされる。

こんなレコード会社のタライ回しを4社ほど受け、辟易としたTOKIはレコード会社の人間との関わりを一切絶つようになる。

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