------第101回



時は2006年を迎え、相変わらず仕事に没頭していた。


以前と変わった点は「人生っていうのは、いつ何時何が起きるか分からない」という事だ。



(どんな事に対しても臨機応変に対応できる環境作りをしなくては)



そんな思いで仕事に勤しむようになっていた、と同時に福祉施設への訪問や支援物資の供給などにも尽力していた。


春、夏、秋、冬と季節が過ぎていくのが、とても早く感じるようになっている自分。


仕事以外では起業した時に何となく習い始めた格闘技の道場に通っている事くらい。



仕事も順調、人生の目標もある。


格闘技もなかなか充実感があって面白い。


毎日寝たいだけ寝て、起きたい時に起きる事が許される環境。


ベンツに乗り、食べたい物を食べ、欲しいと思った大抵の物は手に入れてきた。


なのに、言葉で説明できない迷いのようなモノが心の中に確かにある事にTOKIは戸惑っていた。




(…目標はある。それは?)



(施設の子供達の為に生きる事だ)



(それは分かってる)



(分かってるけれど、それは髪が白くなっても出来る事だ)




多分、これは若さを喪失していく事への恐れなのか?


このまま朽ちていく感じがしている自分に恐れのようなモノを感じているからなのかもしれない。



しかし、どうなるものでもない。


今現在の力では養護施設の運営は難しく、そもそも礎となる会社だってTOKI不在にして磐石な状態ではない。



昔のTOKIを知る人間が、現在のTOKIと会ったら愕然としてしまう日が必ずやって来る。




どこか(飢えていたい)(闘っていたい)といったような牙を、過不足無く過ごしている自分が失いつつある事にTOKIは恐れを感じていた。



そんなTOKIの心を見透かしたように、2006年も押し迫ったある日。



TOKIを再びTOKIとして復活させる運命の歯車が、ゆっくりと動き出す。



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------第102回



「TOKIさんもさ、mixiやろうよ!」
「え?mixiってアレですよね?誰かしらの紹介を受けないと始められないブログみたいなのが集まってるトコですよね?」


音楽を引退して以来、見も知らぬ不特定多数の人と交流を持つ事を拒否していたTOKIは困っていた。


誘い手は中村頼永氏。


かのアジアが生んだ世界的スターであるBRUCE LEEが創始した実践格闘術「截拳道(ジークンドー)」の正統継承組織であるIUMA日本振藩國術館の代表でありUSA修斗の代表も兼任している格闘技界の重鎮。


ふとした事からTOKIと知り合い、交流を持つようになっていた中村氏は自身も始めているmixiにTOKIを誘った。


相手が相手だけに断わり辛い状況。



TOKIは帰宅後、困惑しながらも中村氏の紹介を受けてmixiを始める事となった。


(え〜と、ハンドルネーム、どうしよっかな…)


TOKIは変に生真面目な部分があり、ブログ等の類は初めての体験という事も相まって、使用するハンドルネームは自分の名前と全く違うニュアンスの名前はNGなのだろうと勘違いし、やむなく


(もう、TOKIでいいや。誰も自分の事なんか知らないだろうし、忘れてるだろう)


と、ハンドルネームを、そのまま「TOKI」とし、紹介してくれた中村氏の手前、そのシステムを知るべくmixi内を閲覧していく中で参加人数は少数だけれど「Kill=slayd」のコミュニティを発見。


(うわ!こんなのあるんだ)


そして、その管理をしている人はどんな人なのだろう?とアイコンの写真を見ると見覚えのある子だった。


(あぁ〜この子か!確か…Yちゃんっていったっけな?元気で良かった!)



彼女はKill=slaydを熱心に応援してくれた子で、2002年のSTEALTHのHP内のBBSでは人生相談に良く乗った記憶が蘇る。


TOKIは早速お礼のメッセージを彼女に送ったが、彼女から一向に返事は来なかった。


その子のログイン履歴は「3日以上」と表記されており、その時は(忙しいのかな?)という風くらいにしか捉えていなかったが、この事が後にTOKIを再びステージに復活させる鍵になろうとはTOKI自身、この時は想像もつかなかった。



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------第103回



2006年12月。


クリスマスに向け、TOKIは地元の養護施設への子供達に向けてのプレゼントを模索していた。


「う〜んと…どこかからのプレゼントと重複しちゃマズいな…」


そんな思いで情報を探るべく養護施設のHPを覗いた。


すると超大手の運送会社の支店や、誰もが知っている大会社の支社などから贈られた物凄い数のプレゼントが紹介されており、その品目がHP上を埋め尽くすくらいに列記されていた。


TOKIは愕然とした。


自分がやろうとしていた事のスケールの小ささが気恥ずかしかった。


(俺がわざわざやらなくても、子供達を気に掛けてくれる人は大勢いるんだな…)


(世の中、捨てたもんじゃない)という喜びも感じたが、一抹の寂しさも覚えた。


TOKIのそんな優しさの居場所のなさを払拭するような出逢いを運命はすぐに用意した。



数日後。


「あ、社長ですか?あの〜今ちょっと変な人が来てるんですよ」


と社員からの電話。


「何?どうしたの?」
「いや、茶髪の人が2000円くらいで大量の物資を譲ってくれないか?って来てるんですよ」
「は?何それ?そっちで何とか対処できないの?」
「いや、「困ります」とは言ったんですけどね」
「う〜ん、わかった。まぁ、じゃあちょっと行くよ」


(危険な人物なのかもしれない)という懸念もあり、TOKIは車を急いで飛ばし、経営傘下の一つの店舗に向かった。


「私が代表ですが?」


現場に着き、対象の男性に詰め寄る。


見たところ危険な人物には見えない。


「あ、こんにちは。私、畑と申します。あの〜2000円くらいしか予算が無いんですが、これで何とか色々な物を譲って頂けないでしょうか?」
「え〜っと、ちょっと話の主旨が解りかねるんですが?」
「あ!す、すいません!申し遅れました!私、こういう所で働いている者です」


差し出された名刺を見る。


「(知的障害者施設 友愛学園…青梅にある施設か…)施設で働いてらっしゃる方なんですか?」
「ええ、そうです」
「どうしてまた?」
「いや、国の予算が削減されてしまって…子供達の物もそうなんですが、様々な物資に事欠いてまして…。私共としましてはクリスマスくらいなんとか例年通りに過ごさせてあげたい、という気持ちがあるんですが、予算上そういう訳にもいかないので、何とかお店さんの方に足を向けて直接お願いに上がってる次第なんです」


TOKIは友愛学園の窮状を事細かに聞いた。


そして…


「事情は分かりました。私に任せておいて下さい。おーい、ちょっと!」


TOKIは社員、アルバイトの3名を呼びつけて、隣接した倉庫の鍵を開けさせ、その中に積み上げられたダンボールを自らも降ろし始めた。


衣類や、雑貨等々、TOKIはテキパキと指示を出し、品物を分別した。


うずくまった大人が入れそうな巨大なダンボールが次々に積み上げられていく。


「あ、あの〜」


畑氏がTOKIにストップをかける。


「どうかしましたか?」
「いや、あの〜先ほども申しましたけど2000円しか予算がないんです…」
「えぇ、知ってますよ」
「ちょっと、これだけの量になると…」
「あぁ、そんな事ですか。いや、お金は要りませんよ」
「え?」
「いや、だから、私からの寄付という事にさせて下さい」
「いや!でも、それじゃ…」
「私、元々地元の養護施設の方にも、こういった援助はさせて貰っているんですよ。そことは別に、またこういったご縁が持てて嬉しく思っています」
「いや、あの、いくらなんでも、これだけの量は…」
「…私、いつか貴方みたいに働きたいんです。今は会社とかの事情があって出来ないのですけどね。だから、今の私に出来得る限りの事はさせて下さい」


TOKIのこの言葉に畑氏は声を上げて涙した。



愛に逸れた子供達の為に生きる。


そんな二人の男の出会い。



この出会いが、後にSTEALTH「アルストロメリア」へと繋がっていく。




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------第104回



時は2007年を迎えた。


畑氏から聞いた施設の窮状が気に掛かる。


TOKIはインターネット等を通じて福祉施設で暮らす子供達に対して国はどういう政策を採っているのか、また、現場の窮状とは如何なるものなのかを調べ上げては現実の厳しさを思い知らされ、それらを知る度に胸を痛めていた。



そんな日々の中、立ち寄ったCDショップでGLAYの新譜を購入。


友人であるが故に貰ったりはしないで、TOKIはいつも応援の意味も込めてGLAYの新譜は購入するようにしていた。


封を開け、歌詞カードを見ながら聴く中で、ひときわ異彩を放つ曲のタイトルが目に付く。



その曲「僕達の勝敗」



歌詞カードを見ながら、大人達の勝手な都合に翻弄される子供達の運命に対し、人の非力さを訴え、葛藤するその曲を聴き、(アイツも同じような事を考えているんだな…)という思いに溢れた。


それはどこか嬉しく、曲を聴き終えた時に(俺だけじゃないんだ)という思いに溢れた。



(やっぱ、音楽って良いもんだな…)



TOKIはもう歌わない。


けれど、自分と同じ事を考えている無二の親友が自分の気持ちを代弁するかのような音楽を奏でていてくれる。


TOKIはそれで十分だった。




夏の足音が近付き始めた5月。




mixi内でTOKIの存在が、かつてのファン達に知られ始めていた。


彼らから毎日のように送られてくるTOKI宛のメールの中にTOKIと交流があったバンドの解散を知らせるメールがあった。


(あぁ、解散するのか…)


TOKIは、久しぶりにそのバンドマンにメ−ルを送った。


すると「解散はしたけど、もう一度だけアンコール的なライブをやるから見に来て欲しい」との返信があり、TOKIは躊躇したが(まぁ、最後だしな)と久しぶりにライブハウスに足を運んだ。



時は6月5日。会場は新宿ロフト。



この日がTOKIの運命を大きく変える日となる。




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------第105回



主催者側で(あの「TOKI」が来る)といった様な事を匂わせる宣伝が事前に為されていたらしく、全バンドの演奏が終了した後の最後のステージにTOKIは乞われてステージに上がった。


(誰も俺の事なんて覚えてないだろうし、知らないだろうに…)


というTOKIの想像を大きく覆し、TOKIがステージに姿を現した途端、オーディエンスからの反応は大きく、多くの嬌声と万来の拍手で迎えられた。


そんな事に戸惑いながら、終演後、裏手のラウンジを歩いているとライブを見に来ていた一人の女性ファンから声を掛けられる。


「TOKIさん!会えて嬉しいです!今日はTOKIさんが来るかもっていうから来たんです!ずっとKill=slayd応援してました!」
「えっ?あ、そうですか!ありがとうございます!」
「TOKIさん、Yちゃんって子、覚えてます?」
「Yちゃん?…あ!」


TOKIは「Yちゃん」という子がmixiでKill=slaydのコミュニティの管理人をしている事を思い出した。


「あの子、ずっと、ずっとTOKIさんの復活を信じて待ってたんですよ。TOKIさんの歌が大好きって」
「いや、あの子にいつだかコミュを開いてくれてありがとうってメッセージを送ったんだよ。でも、一向に返信が無くってさ。ログインもずっとしてないみたいだし…元気なの?」
「返信はしないんじゃなくて…出来ないんです」
「ん?どういう事?」
「…彼女、今、植物状態なんです」
「え?」


TOKIは詳しく事情を聞いた。


自殺を図ったものの発見が遅れ、処置の甲斐もなく、彼女は脳に深刻なダメージを負ってしまった事を知り、言葉を失った。


2002年のSTEALTHは事務所の意向や、TOKIの音楽からの完全な引退という意志が作用し、HP等でも事前に十分な告知も無く突然ファンとの交流をシャットダウンした事によって関係を一切断ってしまっていた事を心の底から悔いた。


(もっと彼女の言葉を聞いていれば)


TOKIは事情を説明してくれた女性ファンに挨拶をし、その場を去り、打ち上げが行われているフロアに戻った。


TOKIを知る複数のミュージシャン達から「復活しないんですか?」「もったいないですよ!」と口々に言われる。


だが、それは自分の中で100%無い。


もう何年も前に完全に成立させた気持ち。


あまりにもショックな知らせを聞いてしまった為、どこか虚ろなままTOKIは知人達に別れを告げ、自宅に帰った。


平静を何とか取り戻し「今更どうしようもない」と無理に割り切ろうとするが割り切れない。


全く眠りにつけない暗闇の部屋でTOKIは我に返った。



(俺は施設の子供達を救うって事を、どれだけの事で受け止めているんだろう。自分を応援してくれた、たった一人の子も救えてないのに)



激しい自己批判。


強烈な自己嫌悪。


TOKI自身がTOKIを執拗に責め立てる。



…翌日。


心の整理がつかないまま、やるべき事をこなす。



…翌々日。


(もう一度だけ…)


音楽の世界を知っているTOKIにはステージに上がって歌う事に対し、一過性の気持ちでは、とても対応できない事を知っている。


1年のブランクを埋める為には3年かかると言われる技量の世界において自分は最後のステージから9年のブランクがある。


(とても無理だ…)


無意識に立ち上がる意識。


しかし、言葉では説明できない衝動が身体を支配する。


今までどんな無理な事でも打破してきた自分がいる。


諦めなかった自分がいる。


乗り越えてきた自分がいる。


今も眠り続けているであろう一つの哀しい魂の為に自分が出来る事。


それは一つしかない。



「もう一度だけ…もう一度だけ歌ってみるか…」



C4の初のバンドオリジナル曲「Intense RAIN」。


その冒頭の歌詩に紡がれる「一つの魂に捧ぐ」という言葉。


一人の女性の願いがTOKIを復活させた。




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------第106回



TOKI氏の人生を約3年に渡り執筆させて頂いた「時と呼ばれた男」の最終回に際し、最後に、私から見たTOKIという男を語らせてもらいたい。



音楽畑には、ほぼ縁の無かった私が「ミュージシャンの半世紀を書く」という話を頂いた時に、正直あまり気が進まなかった。


しかし、紹介者曰く「普通の男じゃないよ。絶対に興味が沸くと思う」と強く言われ、TOKI氏と会って話す機会を設けてもらった。


カフェで初めて見た時の強持てのイメージとは打って変わって、話してみると物腰が低く、謙虚で、礼儀を重んじていた彼に些か驚いた事を覚えている。



「どういう風に書く事を望みますか?」と聞くと「ありのままで結構です。でなければ意味が無いですから」という答え。


妙に美化して書く事を強要されるのなら謹んで辞退させてもらおうと思ったが、それならば!という事で、掻い摘んでTOKI氏の今までの人生を吐露してもらった。



…話を聞き終えた時、俄かに信じがたかった。


ビシッとしたスーツを纏ったクールで屈強そうな男に、それだけの過去がある事を。


そんな私の胸中を見抜いたTOKI氏は「身体、見せましょうか?」とシャツのボタンを外し、肌を露出させる。


慌てて静止するも間に合わず、TOKI氏の言葉に嘘が無い事を知った。


…言葉が出なかった。


「是非、私に書かせて下さい」という言葉を除いては。



その日からICレコーダーとノートを持ち、TOKI氏のスケジュールの合間を縫っては会いに行き、彼の人生を年代ごとに語ってもらった。



幼少時の事から、10代の失恋、就職、自動車事故での立ち振舞い、20才の時の事故、音楽との出会い、支えてもらった恋人との別れ、バンドを失った挫折、親を支える為の起業、親友を支える姿、福祉施設で暮らす子供達に対する思い、etc,etc




聞けば聞くほど驚くのと同時に「自分ならどうするだろう」という葛藤が沸き起こる。




物語の最後を締め括る2007年の復活の経緯を聞き終えた時、「自分には輝かしい経歴はありませんから」と気まずそうに笑うTOKI氏に、私は「TOKIさんの人生はそういう面を超えた生き様だと思いますよ」と答えた。



STEALTHの「アルストロメリア」のブックレットにてTAKURO氏が、C4が活動休止に際し新たな動きを提案するTOKI氏を語る言葉で「それは、やっぱり誰かの為に自分が汗を流す事だった」とある。



同時に「それは、まさに俺の知っている、俺の好きなTOKIさんなんだけれど」と書き記された言葉。



傷を負った身体で、こんな時代に、いつだって「誰かの為に」と生きている、この一人の男の半生を描けた事を私は誇りに思う。



みなさん、3年もの長きに渡りご愛読ありがとうございました。



私も皆さんと同様、これからもこのTOKIと呼ばれる男の生き様を、この目で追い続けていきたいと思う。





editor 三島栄治




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