------第71回
新宿アンティノックの楽屋。
そこには雪塗れでIZA、TERUHIKO、そしてサポートドラムであるOJIROがいた。
対バンのメンバーも全員雪塗れ。
「これじゃ、客なんて誰も来ないぜ?」
そんな会話が耳に入ってくる。
しかし、そんな事に心は囚われなかった。
闘病時の苦悶に比べれば、そんな事は何でもない。
テキパキとメイクを済ませ、衣装に着替えて、自分達の出番を待った。
ほどなくして開場。
アンティノックは楽屋と通路にパーテーションが一つ置かれているだけなので、客足がどれだけ無いかは、待機中にも分かった。
そして、ステージへ。
案の定、ガラガラの客席。
客席内にはTOKIが兼ねてから呼んでおいた友人達が数名、他は両手の指で足りるほどの客しかいなかった。
練習で積み重ねた事を土台に、TOKIは全力で歌った。
バラードを歌う時には闘病時の辛さを思い出して、これ以上無い感情を込めて歌った。
そしてKill=slaydの1stLIVEが無事、終了した。
終演後、スーツに身を固めた友人達が楽屋にやってきて口々にTOKIに言った。
「お前、身体大丈夫なのか?」
「あぁ、大丈夫。それより、どうだった?ライヴ」
「うん…ちょっとイイか?」
友人の一人がTOKIを人影の無いところに呼び込んで真剣な眼差しで言った。
「なぁ、お前、病み上がりで、こんな格好して、こんな汚いライヴハウスで歌ってさ、いくらなんでもワケがワカらないだろ」
「え?そうか?」
「医者に何て言われてんだよ?こんな事して良いって言われてんのか?」
「いや、屋内の軽作業くらいしかしちゃダメとか言われてるけど?」
「だろ?なぁ、お前が何か思うところがあってやってんのは分かるけど、これは、あまりにも無謀だと思うぞ」
身体の事が心配という事と、死との闘いから這い出して来て、また更に無謀な領域に挑戦しようとしているTOKIの事が心配なのだろう、友人は熱を帯びた語気でTOKIに迫った。
そんな彼らにTOKIは言った。
「心配してくれるのは本当にありがたいけど、自分なりに考え抜いた結果なんだ。細く長く生きていくなんてのは、俺の中で生きている内に入らないんだ。それを入院中に悟ったんだよ。どんな事になろうとも、一瞬でも長く、悔いの無い時間を過ごしたいんだ。その為に早死にしたとしてもな」
覚悟が発したTOKIの表情と言葉に周りの友人達も皆、言葉を失った。
「わかった。もう何も言わない。精一杯頑張れよ!また来れる時には必ず見に来るようにするよ」
「うん、ありがとな」
友人達も、そしてTOKI本人でさえも、この2年後にはKill=slaydがライヴハウスをSOLD OUTするまでのバンドに成長するとは夢にも思っていなかった。
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------第72回
「とにかく、バンバン、ライヴをやろう!」
自分達を出演させてくれるライヴハウスには、とことん出演し、日曜の原宿でステージ衣装を着てライヴビデオを無料で配ったり、繁華街のアチコチにライヴ告知のビラを貼りまくり、音楽雑誌にもKill=slaydの情報をなるべく多く掲載してもらった。
その甲斐あってか、92年の暮れには1st DEMO TAPE[-Artistic suicide-]を発売するも1000本がアッという間に完売。
93年には業界では名前くらいは誰でも聞いた事がある、くらいのバンドに成長していた。
バンドのミュージシャン友達も増え、(自分の居場所の選択は間違いなかった)と自負できるようになっていた。
そんなバンドミュージシャンの中で、TOKIは1つのバンドと運命的な出会いをする。
「Kill=slaydの方ですよね?俺達GLAYってバンドです。よろしくお願いします」
「あぁ!こちらこそよろしくお願いします!俺、TOKIって言います」
「あ、自分はTAKUROっす」
GLAYは88年結成で、北海道は函館で活動していたが、90年には上京し、既に東京で活動していた。
この頃Kill=slaydが活動拠点にしていた神楽坂エクスプロージョンでは既にワンマンも経験しており、実質的には先輩バンドだった。
「今度、TOKIさんの家に遊びに行って良いですか?」というTAKUROに「あぁ!いつでも大丈夫だよ!」と答えた。
(どこにでもある挨拶代わりの言葉だろう)
TOKIはそう思っていたが、翌日の夜、実家のリビングでくつろいでいると、一本の電話が鳴った。
「はい?」
「あ!TOKIさんですか!TAKUROッス!昨日はどうも。今、何してます?」
「いや、家にいるけど?」
「でしょうね。電気点いてますモンね」
一瞬、彼の言ってる意味が分からなかった。
しかし、意味を即座に理解し、窓を開けると「どもども〜」と笑顔でTAKUROが立っていた。
「おいおいマジかよ!いなかったら、どうするつもりだったんだよ!ハハハハ!ま、まぁまぁ、入ってくれよ」
笑いが止まらなかった、と同時に、こんなに行動力がある人間は初めて見た。
携帯電話が全然普及していなかった時代。
彼とは手書きのメモでお互いの住所を取り交わしていたとはいえ、まさかメモを渡した翌日に連絡も無しで突然家に訪れるとは…
その日は夜が明けるまで語り明かした。
以降、週に3,4日のペースでTAKUROはTOKIの自宅に現れ、毎夜毎夜、音楽について、人生について語り明かした。
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------第73回
「TOKIさんはさ、最終的にはどんな音楽を演りたいの?」
「う〜ん、ゴダイゴのさ「ビューティフルネーム」っていう曲あるじゃん?ああいう歌を創れるようになりたいね」
「あぁ、メチャクチャ良い曲っすよね〜。俺もそういうトコを目指してると思う」
「まぁ、今はお互いゴダイゴとは掛け離れた音楽やってるけどな」
「そりゃそうだ!」
笑いの絶えない部屋。
TAKUROが来ると、部屋にエネルギーが満ち溢れるような感じがした。
互いの過去の人生の選択に対しての評価をしあったり、今現在の悩み事を打ち明けあったり、未来の自分像に達するまでの道のりに対して意見を交わしあったり、時間が経つのを忘れて、気が付けばいつも夜が明けてしまっていた。
この時、TOKIも本人であるTAKUROでさえもGLAYが日本を代表する国民的なロックバンドになろうとは夢にも思っていなかった。
そしてTOKIもTAKUROが自分の人生に一番の影響を与える人間になろうとは、この時は想像もしていなかった。
まだお互いのバンドのファンは数十人の頃の話。
お互いが貧乏で、いつも必死だった。
TOKIとTAKUROの交友が深まると平行してKill=slaydとGLAYは何かにつけて一緒にLIVEを行うようになり、1993年の夏も過ぎようとしていた頃にTOKIはKill=slaydに対して一つの決断をした。
「CDを出そう」
今でこそレーベルに所属せずに自主制作でCDをリリースする事は珍しくも何とも無いが、この頃は単独バンドの自己資本でCD出すなんていう事は、あまり例が無かった。
思い立ったは良いが、例が無い故に何から手を付けるのかも分からず、どういう風に作れば良いのかも分からず、完全にお手上げな状態だった。
(まずはCDを作ってくれる会社を探そう。そこで手順を聞けばいい)
18歳の時の車の事故で知らない街を彷徨った時に比べれば何て事は無い。
どんな苦難も投げ出さずに自力で乗り越えてきた自信だけがTOKIを支えていた。
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------第74回
CDを製作してくれる会社を見つけ、タイトルは「Death13」と決めた。
既存の曲から収録曲を決め、レコーディングに入る。
しかし、このレコーディングがキッカケでKill=slaydは2つの障害に対面する事となる。
一つはTERUHIKOと他のメンバーとの不協和音。
もう一つはTOKIの歌唱力の問題。
楽曲自体がパンク調の曲が大勢を占めていたのと、ライヴハウスでの大音量での演奏では細かな音程のズレを把握しきれていなかった事がレコーディングという緻密な作業で一気に露呈されてしまった。
自分の音程の悪さに打ちのめされながらも、何とかレコーディングを終了させ、無事に「Death13」は完成した。
1993年10月の「Death13」発売記念LIVEは、新たな拠点として定着しつつあった市川CLUB GIOで行う事が決まり、オープニングアクトはGLAY、ゲストに当時、著名だった先輩バンドのセッションバンドを迎え、体制は万全。
この頃から雑誌の取材も来るようになり、Kill=slaydは若手のバンドの中でも頭一つ抜けた存在となった。
そして1994年。
1月にTERUHIKOが脱退。
新ベーシストにJUN=NAを迎え、TAKUROと二人で兼ねてより暖めていた企画「an Optic」を敢行。
奇しくもGLAYのメジャーデビュー時期と重なった事で、万全とは言えなくなった企画だったが結果的に大成功に終わらせる。
そして、満を持してのKill=slaydのワンマンライブが、あのBOΦWYやBUCK-TICKを生み出した日本最高峰のライヴハウス、新宿LOFT(旧新宿LOFT)で行われる事が6月に決定した。
(CDも出し、an Opticも成功させた。ここが正念場だろう)
このワンマンLIVEが失敗すれば、Kill=slaydは大きく失速する事になるとTOKIは感じていた。
共に歩んでいたGLAYは既にメジャーデビューをし「もう一つの最高峰」であるライヴハウス目黒鹿鳴館をソールドアウトさせている。
TOKIはリーダーとして、レーベルのオーガナイザーとして「絶対に成功させなければいけない」という気概を持って、ワンマンライヴの日が来るのを待った。
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------第75回
そしてライヴ当日。
事前にチケットは完売。
会場前には当日券のキャンセル待ちをする列。
Kill=slaydのワンマンライヴはこれ以上無いほどの大成功に終わった。
これ以降、バンドを取り巻く環境が大きく激変した。
動いている金銭も何百万単位で、TOKIのレーベルオーガナイザーとしての手腕無しでは、バンドが全く機能しなくなってしまう程になっていた。
ロクに食事を摂る時間も無く、一日一食。
しかも大半は車内で移動しながらで、自宅に帰れば意識が無くなるまで作業をしていなければならない、という苛烈な日々が恒常的になってしまっていた。
そんなTOKIを静江は「ねぇ、そんなに頑張ったら死んじゃうよ!身体に良くないから、もうちょっと休めないの?」とTOKIと顔を合わせる毎に訴えた。
TOKIはいつも苦悩していた。
同じ年頃の恋人同士は夏には海に、週末にはドライブに、クリスマスには一緒にケーキを頬張っているだろう。
でも、今自分が置かれている状況では、そんな事をしている時間は、とても作れない。
「あぁ、分かってるけど、俺がやらなかったら誰が出来るんだ?」
「…それは、そうだけど」
「今は苦しいけど、いくつか音楽事務所から声も掛かってるから、そうなったら、必ず休めるよ」
「うん」
「そうしたら、どこか遠くへ連れて行ってあげるからね」
「本当?!」
「?!…あぁ、約束するよ」
(お前の為にも頑張らなきゃな)
口には出さなかったが、TOKIは「どこかに行こう」と言った時、静江が驚くほど大きな声で反応した事が、すごく心に残った。
(そうだよな。バンドにばっかり明け暮れて、静江ちゃんと最後にデートらしき事をしたのは、いつだったかな?)
TOKIにとって、静江は恋人であり命の恩人であった。
彼女がいなかったら、闘病生活時に隔離された個室で自殺していたかもしれない。
いや、していただろう。
学歴も財産も無い、ましてや、こんな身体に醜い傷跡がある自分なんかに献身的に尽くしてくれた。
(彼女の幸せの為に生きる)
そんな覚悟を再確認した事は一度や二度ではない。
打ち合わせに次ぐ打ち合わせ。
移動に次ぐ移動。
腹が減って倒れそうな時は、バンドのメンバーや静江の事を思い出して奮い立たせた。
移動中に過労でダウンし、救急車で運ばれた時も「家には連絡しないでくれ!」と救護隊の人に懇願した。
(何も無い上に、ハンデがある。俺は人一倍頑張らなきゃいけない)
しかし、皮肉な事にTOKIが頑張れば頑張るほどバンドの状況は好転し、静江と過ごす時間は無くなっていった。
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------第76回
「ねぇ?バイト先を変えようと思うんだけど?」
TOKIの部屋で静江が唐突に言った。
「え?何で?今のバイト先で何かあったの?」
「ううん、そうじゃないけど、ホラ、アタシって家の近所でしかバイトした事ないじゃない?そういう所じゃなくて、同世代の人が一杯いる所で働いてみたいな、と思って」
静江は地元の寂れた商店街の小さな蕎麦屋とか小さな寿司屋とかでしか働いた経験が無い。
故に、同世代の人間どころか気心の知れたオジサン、オバサンとしか接した事がない。
TOKIは正直、困惑したが、自分が彼女に割いてあげられる時間が無い以上、何も言う資格は無いと思った。
「う〜ん、正直、近所で働いていてくれた方が安心できるけど、静江ちゃんが、そうしたいのならイイんじゃない?」
「!?本当」
「うん、でも、どんな仕事にするのかは一応、相談とかしてね?」
「うん!するする!」
そんなやり取りから1週間ほど経った頃、静江の新たな仕事先が決まった。
その職場は繁華街にある、とある大型の飲食店だった。
従業員も、ほぼ同年代で占められていて静江の就労時間は夕方から夜の10時までとの事。
「ふ〜ん、夜遅いんだね。帰り道、大丈夫?」
「平気!平気!」
静江は、10代後半はTOKIの看病と補助。
20代になってからは近所で気軽にアルバイトをしながら平凡な日々を過ごしていた。
そんな静江が刺激に溢れた遊び方を知っている同年代の連中に囲まれたら、今までとは何か違う静江になってしまうのではないだろうか?
そんな一抹の不安が頭を過ぎったが、今の自分の状況では、こんなに喜んでいる静江に何も言えはしない。
(何も変わらなきゃイイんだけどな…)
相変わらずTOKIは日々をKill=slaydに没頭、常に陣頭指揮を執っていた。
そんな中、静江の心が段々に変化していく様をTOKIは敏感に感じ取る時間も余裕も出来ないまま、静江との別れが刻一刻と近づいているとは、露ほども感じ取る事は出来なかった。
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------第77回
Kill=slaydはワンマンを中心に活動できるまでになっていた。
ホームグラウンドである市川CLUB GIOでの2days、目黒鹿鳴館でのワンマンもこなし、時は1995年を迎えた。
新たなるCD「ペリフェラル」を引っ下げ、かねてから憧れの会場であった日清パワーステーションのワンマン公演も決まった。
この頃になるとKill=slaydの知名度は非常に高くなっており、注目度はウナギ昇りになっていた。
そんな時、自宅に知り合いから一本の電話が鳴った。
「久しぶりだね、どうしたの?」
「あの、頼みがあるんですけど…」
彼の頼みとは、彼の知り合いのバンドスタッフから「ウチのバンドがトラブルに巻き込まれそう」との相談を受け「それに対処できる人はいないか探して欲しい」との相談を受けたとの事。
そのトラブルの内容とは、かなり粗暴な事で名を馳せていたバンドと、そのスタッフが受け持つバンドが、どうやら一緒にライヴをする事になってしまったらしく、スタッフも、そのバンドのメンバーも非常に困っているらしい。
「断れば良かったじゃん?」
とTOKI
「いや、もちろん事前にそういうブッキングがあったら断わってたんですけど、今日の今日まで、そういうイベントとは知る事が出来なくて回避出来なかったらしいんです」
と電話口で詳細に事態を説明する。
「で、そのバンドは何て言うの?」
「Laputaっていうバンドなんです」
「あ!名前は知ってるよ」
「何とか頼めないですか?」
「嫌だよ、そんなの!…みたいな事を俺が言わないのを知ってて電話かけてきたんでしょ?ハハハ」
「いや〜助かります!」
かくしてTOKIは見た事も話した事も無いバンドの窮地を救うべく、市川に車を飛ばした。
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------第78回
1時間後、市川CLUB GIOに到着。
ライヴハウスのスタッフから
「あれ?どうしたの?」
「いやいや、ちょっと野暮用で!」
と挨拶もソコソコに楽屋へ向かった。
すると、そこには何とも言えない張り詰めた空気が漂っている。
空気の主は粗暴なバンド。
そのバンドを押しのけ、Laputaのメンバーに軽く挨拶。
ここで後にC4のメンバーとなる、JunjiとTomoiに初対面する事となる。
未来のそんな事は想像もしないまま、暴力的な事にならないよう、TOKIが空気を作り、無事にイベントは終了。
終演後、トラブルに巻き込まれないよう迅速にLaputaのメンバーを会場出口まで導き、事無きを得た。
後日、TOKIの所属事務所にLaputaのメンバーとスタッフから感謝の手紙がTOKIに届いた。
2007年、TOKIとTomoiが新宿ロフトの楽屋で再会した時にTomoiが、2009年にSTEALTHのメンバーとしてTOKIと再会したJunjiが、開口一番、その時の礼を口にしたという。
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------第79回
「ねぇ、今度さ、職場の男の子二人と私と女の子一人で海に行って良い?」
「あとさ!今度さ、職場の男の子と二人で飲みに行って来て良い?」
静江の常識外れの言葉にTOKIは困惑した。
矢継ぎ早に繰り出される静江の言葉にTOKIは
「え?何言ってるの?男と二人で飲みに行って来てイイっていう質問にOKを出す彼氏なんていないでしょ?」
「え?ダメなの?」
「当たり前じゃないか!あと、その海に行くっていうのも男二人、女二人って事でしょ?ダメに決まってるじゃないか!」
(一体全体、何を言ってるんだ?)
多分、職場の同僚と意気投合し、遊びに行きたいのだろう。
この頃の静江は水を得た魚のように表情が生き生きしていた。
いや、生き生きしているというよりかは、どこかギラついてきたという方が正解かもしれない。
今まで、ほとんどノーメイクに近かった静江が、最近かなり濃い目のメイクをするようになり、服も良い意味でシンプルな服装を好んでいたのに、今ではとても派手な服を着るようになっていた。
「ねぇ、静江ちゃん?最近思うんだけど、服とかスゴく買ってるように見えるんだけど?」
「うん!買ってるよ!でもまだまだ欲しいのがイッパイあるんだ」
「いや、買うのはイイんだけど、ちょっと買い過ぎじゃないの?」
「え?私のお金で私が何を買おうが勝手じゃない?」
「?!いや、まぁ、そうだけどさ、何か最近変わったね」
「もう今までの自分が何かバカバカしくって、面白い事いっぱいあるんだよ!ねぇ、今度一緒に行こうよ!」
「ん?う、うん」
自分は静江の楽しみに割いてあげられる時間が無い。
それが負い目となって、TOKIは歯痒く思った事も、なかなか言い出せなかった。
しかし、それが仇となって、静江の行動は、どんどんエスカレートしていった。
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------第80回
静江はクレジットカードの限度額まで買い物をし続け、月末の支払いでカード使用額の枠に余裕が出来たら、すぐさま、また買い物をしてしまう。
その現状を知った時は、さすがに静江に強く出た。
「なぁ、こんな事やってたらマズいぞ。もうちょっと我慢するようにしなきゃダメだよ」
「あぁもう、ウルサイ!放っといてよ!」
「放っとけるワケないじゃないか!」
「じゃあ、もう別れましょう!」
「何だそりゃ!お前、いい加減に目を覚ませよ!」
「もう、もう、私の幸せの邪魔をしないで!」
「幸せを思ってるから、こういう事を言うんだろ!」
「アンタに私の何が分かるって言うの!」
そう叫んだ後、静江はTOKIの家から出て行った。
(言い過ぎたかな?いや、でも、俺は間違っていない)
どうせ、いつもの喧嘩。
どうせ、また、いつも通り元通りになる。
TOKIは、そう思っていた。
しかし、それから3日経っても4日経っても、静江からの連絡は無い。
自分から携帯に電話を掛けても静江は出ない。
業を煮やしたTOKIは静江の働いている店で静江を待った。
だが、静江が現れる事は無く、TOKIはただただ呆然と静江を待った。
どうやっても、会うどころか連絡さえ取れない日が1週間以上続いた。
(しょうがない。最後の手段だ)
TOKIは静江の家の前で静江が帰宅する時間を見越して、静江の帰りを待った。
(そろそろ、帰ってくる時間なんだけどな)
と思った瞬間、静江の姿を目に捉えた。
歩み寄るTOKIに立ち止まる静江。
TOKIから話しかけた。
「なぁ、一体、どういうつもりだよ!避けてんのは分かるけど、心配するじゃないか!」
無言の静江。
「何だよ!一体、どうしたんだよ!」
「別れるって言わなかったっけ?」
「はぁ?え?この前の時の事か?」
「そうよ、私は別れたいの」
「ちょ、ちょっと、何を言ってんだよ」
「お願い、もう二度と私の前に現れないで、電話も掛けないで。さようなら。」
「お、おい!」
TOKIが声を掛けても歩を止めようとしない静江。
腕を掴むTOKI。
「離して!」とTOKIの腕を振り払うと、静江は駆け足で自宅に入ってしまった。
静江の家は家族で住むアパートなので、これ以上、追いかければ静江の家族に迷惑が掛かる。
(別れる?え?別れる?俺と静江ちゃんが?…じゃ、俺は何の為に頑張ってきたんだ?)
TOKIは、ただただ呆然と路上に立ち尽くした。
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